話題の「兼高かおる 私が旅から学んだこと」とは!?

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話題の「兼高かおる 私が旅から学んだこと」とは!?

僕たちに世界の扉を開けて見せてくれた人。

兼高かおる世界の旅オープニング映像

日本のテレビ史上に燦然と輝く、紀行番組の金字塔「兼高かおる世界の旅」。1959年、当時の日本人にあまり馴染みがなかった世界各地を駆けめぐり、その風俗・文化・歴史などを紹介する本格的海外取材番組としてスタート。日曜の午前中はこの番組を見なければ1日が始まらないとまで言われるほど、多くの視聴者に親しまれ、31年もの長寿番組となった。訪れた国の数は150カ国あまり、地球を180周した計算になる。
兼高かおるは、ナレーター、ディレクター、プロデューサーを全て一人でこなし、当時の国家元首から秘境の地に住む村人まで様々な人々と接し、幾多の冒険にも果敢に挑戦した。民間人の海外渡航が自由にできなかった時代。彼女の「世界をお茶の間に運ぶのが私の仕事」という言葉通り、実際に自らの目で見てきた、手で触れてきた世界の旅。すべてが番組内の貴重な映像の数々に凝縮されている。

出典 http://www.tbs.co.jp

兼高かおる世界の旅エンディング映像

今の皆さんからは想像つかないと思いますが、当時は1ドル360円、飛行機はプロペラ機。給油のため頻繁に寄航してました。

「番組の第1回目に放映したローマを訪れた時は、羽田空港からプロペラ機で香港を経由して52時間かかりました。当時の為替レートは1ドル360円。外貨の持ち出し制限がひとり当たり1日17ドルでした。100日間の取材予定に60万円(約1,700ドル)を当時の千円札の束で渡されて、その厚さに驚くと同時に身の引き締まる思いがしました。当時の大卒の初任給が、9,000円(25ドル)の時代でしたから」

出典 http://croissant-online.jp

兼高かおるさんのスーパーレディぶりはこんな感じだったようです。

出典 http://croissant-online.jp


正月を日本で過ごしたことは一度もありませんでした。

30年続いた番組のあいだは、年間半分以上は海外取材。そして帰国後は、取材先で収めた膨大な映像(当時のデータはビデオテープではなくフィルム)を番組の枠である30分以内にするべく、繋ぎ合わせて編集。それに合わせたナレーションを吹き込むと再び海外へというのが常のスケジュール。帰国中でも自身の番組を見たことはないうえに〝お正月を日本で過ごすこともありませんでした〟と微笑む。

1959年、番組最初の取材でローマに向かう際のスタイル。


「だって日本でお正月を過ごしてもすることがないでしょ? 海外に行けばその国ごとの、日本とは違う年越しの模様を朝までかけて取材できますし。スイスの高級リゾート地・サンモリッツを年末に再訪した時には、以前お会いした方から、別荘で年越しをするのでいらっしゃいませんか? と言われて、すぐに予定を変更し、そちらの模様をレポートしました。海外に行けば行くほど、取材先が広がって次につながるというのが実感できました」

出典 http://croissant-online.jp

兼高かおるプロフィール

1928(昭和3)年、神戸生れ。ロスアンジェルス市立大学留学後、フリーランサーとして活躍。1958年、スカンジナビア航空主催の世界早回りコンテストで、73時間9分35秒の新記録を樹立。1959~1990年、テレビ番組「兼高かおる世界の旅」で、160カ国を巡る。菊池寛賞、芸術選奨文部大臣賞等、多くの賞を受賞。1991年に紫綬褒章を受けた。現在も「横浜人形の家」館長など精力的に活躍。

出典 http://www.shinchosha.co.jp

子供の頃外国はアメリカだけと思っていた私に世界を見せてくれた番組。海外旅行は夢の夢と思われていた時代に日曜日の朝、茶の間に世界を届けてくれました。なんとも上品な語り口、芥川隆行さんとの絶妙なやり取りで番組は進行していきテレビに釘付けでした。その超人的な行動力、好奇心で世界の隅々まで飛び回り、『新しいことに出逢えるならどこにでも行きますわ』の名台詞は有名です。この番組に刺激されて世界に飛び出した人はかなり多かったのではないかと思います。

兵庫県 淡路島 淡路ワールドパークONOKORO 兼高かおる旅の資料館

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